東京啓友会 理事プロフィール―2013年度
小山 修 (おやま おさむ)副会長(副支部長) (昭和44年健卒)
現在 日本子ども家庭総合研究所客員研究員
私は、昭和44年に体育学部健康教育専攻課程を卒業しました。順大入学の動機は、「体操がしたい」という極めて単純なものでした。親に負担をかけたくないと思い、新聞社に実業団(東京オリンピックの選手の中に河合楽器、ソニーなどの社会人がいた)で体操部を持っている会社を教えてくれと、葉書を出しました。結果は、分らないという返事。順大に郷里岩手の1期上の先輩(鈴木亨氏−元岩手県教員−)がいて誘われました。国立大学に入学願書を出していたのですが、入試の前に順大から合格通知が来たので、受験しないままになりました。なんとも親不孝者でした。親不孝は卒業しても続きました。親は郷里の教員になるものと考えていたのですが、期待を裏切り東京麻布の社会福祉法人恩賜財団母子愛育会という、分けのわからぬ職場に就職しました。法人の理事長が厚生省人口問題審議会の会長をしており、委員の中に山本幹夫教授(当時)がいて、教え子をくれないかと話があったと、これは面接に行く時、澤口進助教授(当時)が教えてくれました。体操競技はといえば、1年の時、鉄棒のウルトラCで捻挫して松葉杖生活。あえなく挫折。在学3年以降は保健社会学ゼミと体操競技部の2足の草鞋を履き、いい加減な選手生活を過ごしました。
卒業後は、体操、スポーツとは縁遠い、公衆衛生、健康教育分野の仕事でした。保健所、病院の医師など保健医療従事者の現任研修や、アジアの医師を対象とした国際研修にもたずさわりました。仕事上では、衛生行政に従事していた健康教育のOBに随分励まされ、今でも“順大はいいなぁ”と思っています。この気持ちが東京啓友会に誘ったのかもしれません。
この間、大学の島内君(現健康学科教授)に誘われて、日本健康教育学会の設立委員に関わったことも大きな出来事でした。私達を除くほとんどの先生方は、著書で知っていた高名な方々で、委縮しそうになりましたが、それでも学会発足と同時に初代の学会誌編集委員長に選ばれ、貴重な経験をさせてもらいました。この学会は会員数1,000人余りの小さな学会ですが、今年で22回目の学術集会を迎えました。不肖私も第17回目の学会長を務めました。今では、山本、澤口両恩師の夢を叶えたのではと思っています。
研究職になったのは平成9年と晩期型ですが、退職前まで研究企画部長と地域保健担当部長も兼務し、厚生労働省からオーダーのあった政策研究をしました。お陰でゴミのような研究業績がたくさんあります。
現在は、日本子ども家庭総合研究所の客員研究員、淑徳大学短期大学部特任講師、関東学院大学非常勤講師をして飲み代を稼いでいます。年数回ですがJICA青年海外協力隊派遣前研修、国立武蔵学院基幹職員研修でも講師をしています。他に法人の理事を5団体、所属する学会は7学会あります。
目下の関心事は、来年名古屋で開催される子ども虐待防止国際会議の寄付集めです。国内外合わせて2千人以上集まる大きな学会です。関心のある方はお尋ねください。